ひきこもり生存戦略

ひきこもりなど、生きづらさを抱える人であっても、生き残れる方法を模索するブログ

文学部生のための進路相談

文学部に行きたいなあとか、入ったけれどこれからどうしようかなぁとか、就活どうしようかなぁ、という人向けに、無責任におしゃべりする手紙みたいなものを書いてみる。

これが誰かの役に立つといいなと思う。誰の役にも立たないかもしれない。

 

文学部に行きたいという子は、どちらかというと「俺、音楽で食べていくから」みたいな精神性を持つ、というと、さすがに言い過ぎですか?

でも、法学部にも経済学部にも行きたくなかったんでしょう?

社会に「適応」するなら、文系男子だったら、法学部か経済学部に行った方が、「安定」や「安心」を手に入れることができるんじゃないですか?

教育学部に行って、先生になるのもいいかもしれないですね。

でも、そこでもあえて文学部を選ぶということは、そのどれでも自分は満足できないということを、心のどこかで確信しているからでしょう。

法学部にも経済学部にも教育学部にもないものを、文学部であれば手に入れられる、そう思ってる、違いますか?

 

手に入れることができましたか?

 

僕の場合、手に入れることはできませんでした。

法学部で学べることは、現代日本でしか通用しない局所的な真理だと感じていたんです。大日本帝国憲法がその効力を失ってから、日本国憲法ができて、それを頂点とする法体系ということは、百年経っていないシステムなわけで、それを学んだところで、それは自分が生きている間には役に立つかもしれないが、もっと普遍的な真理を知りたかったんです。そりゃあ、法律を学んだらうまく立ち回ることができて、有利に人生をすすめることができるかもしれませんが、それが人間としての理想的な生き方だとは思わなかったわけですよ。だって、自分が社会の中で勝利者になったとして、それは敗者を生み出すわけじゃないですか。

経済学部は法学部よりも普遍性があると思いましたが、経済システムの分析なわけだから、資本主義社会(とマルクス経済学も含めれば社会主義経済も)だったら世界中が対象になるけれど、そもそも資本主義が好きではなくて、「お金と引き換えに幸福を手に入れるというよりも、お金がなくては幸福になれないみたいなシステム」みたいに感じていたんですよね。でも、そんなシステムがあったとして、そんなものは破壊しなくてはならないんじゃないですか?(もちろん破壊すべき対象を研究するのは大事なことですが)

椅子取りゲームで勝ちたいわけじゃなくて、椅子取りゲーム自体を終わらせたかったというか、椅子取りゲームじゃないところに行きたかった。法学部や経済学部で学べることは、椅子取りゲームで勝つ方法であって、そこから抜け出したり、椅子取りゲームを違うゲームに変えることは学べないですよね?

 

じゃあ、文学部ではそれを学べるのかよ?

という答えに対しては、学べませんでした、と僕は言うしかないです。

行ったことが無駄だったとは思わないのですが、自分が欲しい真理を探して、大学図書館と講義と自宅を往復する日々を過ごしていましたが、ある日、気づいてしまったんですよね。

自分の欲しいものは、この中には、ない、ということに……。

そこから精神を病むのは結構早かった気がしますね。なまじ勉強を頑張ってしまったがために、どこにもほしいものがないことがわかってしまったというか。

 

若いみなさまにご忠告申し上げたいのは、勉強だけするのは精神衛生上、危険な可能性があるので、人と人とのつながりを作ろうということですね。サークルとバイトはした方がいいです。興味なくてもです。居場所を複数作ることで、とりあえずメンタルの崩壊を防げる可能性が上がります。精神が崩壊すると回復するのに年単位の期間がかかることがあり、人生に多大な悪影響を及ぼすことがあります。致命傷を避ける、これは大切なことです。

(過去の自分は、致命傷を受けるリスクを背負ってこそだろうと思っていた節があるので、過去の僕と同じような精神性を持っている人間は、この話を聞いてくれないかもしれないけれど……)

 

サークルは、まず宗教的なサークルを避けるということが肝要でして、親鸞会などの新興宗教の勧誘を隠したサークルがけっこう大学には跋扈しているので気を付けてください。その手の情報は新歓などである程度共有されることもあるようですが、現在の大学の状況はよくわかりません。昔は、ここらへんには大学は関知していなかったはずですが、さすがにオウム真理教のこともあり、本格的に注意喚起してるみたいです。

マジで変な宗教関係のサークルは人生を破壊することがあるから、本当に気を付けてほしい。

 

バイトは電話営業のバイトを2年間くらい続けると営業系の就活で無双できるという伝説を聞いたことがある。人手不足の業界のわりに、そこまで劇的な業務の変化がないため、つぶしが聞いたりダブルワーク先としても選ばれるコンビニはわりとおすすめと聞いたことがある。どちらも真偽不明。

 

話をもとに戻すと。

社会に適応できないなあと思いつつ、その適応のできなさに何かしらの解答や救済が得られるであろうということで文学部に行くことは、全然間違いだとは思いませんが、そこで解答が得られるとはあまり期待しない方がいい、と思います。

問いの立て方は教えてくれても、答えは大学で教えてくれません。

これは悪いことではないですし、ある意味誠実なことでもあるのですが、いろいろな解釈や理論を学ぶことはできても、解答が与えられるわけではないんですよね。

ただ、ここがちょっと難しいところなのですが、文学部に行きたいメンタリティを持つ人間が法学部や経済学部でその適性を発揮できるのかというと、ちょっとよくわからないところがあります。

 

僕から……文学部を卒業したことがある僕から、何か、進路に迷っている文学部の人に言えることがあるとしたら……

まず、語学はある程度まで修めた方がいいということです。

語学系の授業は、それなりに充実しているはずですからね。英語ともう一つ外国語を習得してください。検定2級レベルまでには至ってほしい。多分役に立ちます。(僕はビジネスにおいては、役立てられませんでしたが、もっと磨いていれば違う結果になったかもしれない。ビジネス以外のところでは役に立ちます)

統計や法律に関しては、必要とあらば習得は後からでも可能だと思いますが、教養課程で関連する授業はとっておいて損はないでしょう。

これは難易度が高い気がしますが、法律系の資格か、経済系の資格を在学中にとれるといいですね。行政書士や税理士……。難易度やはり高いかな。

これが取れたら就活でもある程度いける気がしますが……経理や法務がいらない会社はないですからね。そこ狙いで動いて採用があるのかが不透明ですが。

ただ、文学部に行く人は、自分の幸福よりも、大義や正義や他人の幸福に関心がある人が多いと思うんですよ。自分の幸福が大切なら、自分の効用を最大化するために立ち回って、法学部や経済学部に行くんじゃないですか?(両学部へのディスかもしれない、ごめん)

もし、自分の幸福よりも大事なものがあるなら、もしそれを手にすることができたら、たぶん問題ないです。

極論、好きな女の子と付き合って、その子と結婚するために俺は働くぞとなったら、全然問題なく動けると思います。文学部にいる人に必要なのは動く理由です。

社会に適応できないというよりも、適応するだけの理由が持てないだけでしょう。

適応する能力がないというよりは、適応する理由を見いだせない、という方が適切じゃあないですか?

(本当に適応する能力がないという人は学部関係なく一定数いるとは思いますが)

 

ちゃぶ台をひっくり返すようですが、文学部に行く精神性を持っている人間は、どんな経路をとろうと、自分の魂の中にある問題、みたいなものに向き合わなくてはならない気がしています。

僕は自分の人生の時計の針を戻せたら、今よりもうまく立ち回る自信があります。

しかし、今現在の自分の人生よりも幸福になっている自信はありません。

うまく立ち回る可能世界にたどり着けたとして、そこから先の未来、すべての困難に対してうまく立ち回る自信などありません。

この現在の僕が経験していない困難に、その可能世界の自分は出会うはずです。

そのときも、同じようにうまく立ち回れるかは、今現在の自分にはまったくわかりません。

人生にセーブポイントはないので、こんな思考実験にはあまり意味はないのかもしれませんが、結局、どんなルートをたどったところで、自分の精神性に起因する「壁」が人生の中から現れて、そこをなんとかしないことには、前にすすめなくなる……そんな気がしませんか。自分の心の中に、社会と折り合いがつかない「なにか」を飼っている人間が(あるいは、みんなその「なにか」を飼っているのだけれど、その「なにか」から目をそらせない人間が)、文学部に来る確率が高いと思っているのですが、もし、そうなら、その「なにか」は、人生のどこかの時点で、社会性を身に着けたあなたと対決しに来るのだと思っています。それが大学在学中かどうかはさておいて。

僕は社会性を身に着けようと大学で社会適応をいどんで敗北したクチですが、この経験を反面教師にして、みなさんにはその反社会性をとことんまで突き詰めてもらいたい。社会適応なんて無理してがんばったところで、自分の心の中にある反社会性の反作用で精神が分裂するのがおちかもしれませんよ。

反社会性をとことんまでつきつめたところで、また別の問題が降りかかってくるとは思うのですが、僕は自分の中の問題に向き合わずに中途半端に社会適応しようとしたために精神を病んだと思っているので、逆に、突き詰めることで見えてくるものもあるんじゃないのかな、と思っている次第です。

ただ、こればっかりは、個人差があるので、なんともいえません。

 

僕からいえるのは、居場所を複数作っておいたほうがいいという前段の話ですね。

メンタルがぶっ壊れなければ、なんとかできたりします。大事なのは、致命傷や重傷を避けることです。勝つことよりも負けないことに注意してください。

これをすれば勝てるという方法は、大学を卒業して十年経ってもわかりません。

必勝法はおそらくないでしょう。

環境も、その中にいる個人も、千差万別なので。

でも、敗北を回避する方法であれば、ある程度、確率の高い方法はあると思っていて、バイトとサークルをしておくことが、保険、リスクヘッジになると思っています。

あとは早く結婚したほうがいい。子供も産んだ方がいい。もしできるなら。戦う理由になるので。できないときは、しょうがないです。(僕もしょうがない組だよ)

 

でも……ここでさらにちゃぶ台をひっくり返すようなことをいうと……文学部に行くような魂にロックなものを抱えている人は、きっとこの冗長な文章よりも、自分の心の中の衝動とか感性に従うんじゃないかと思うし、それでいいと思っています。自分で決めたことじゃないと、失敗したときに勉強にならない。

ただ、本当にひとつだけ、まじめな助言をひとつだけ。(所詮個人的意見ですけど)

「やばそう」とか「なんかやだな」という直感は大事にした方がいいと思います。

どんなに条件が良さそうに見えても、あなたの心がそう思ったのなら、「あなたにとっては」、やばくていやなところなのだと思います。

みんなにとっていいところが、あなたにとってもいいところだとは限りません。

統計は、右の道を進めば勝利確立が80パーセントと言ってくれるかもしれませんが、あなたが20パーセントの方に入っていないなんて、だれが立証できるでしょう?

自分が20パーセントの方にいるかどうか、いたらどっちの道を選ぶべきか、判断することができるとすれば、あなたの直感以外にはないのではないでしょうか?

 

春の夜だから、昔のことを思い出して、たくさん書いてしまいました。

頼むからだれかの人生がこれを読んで好転してほしいと思う。人生は、もし可能なら、失敗しない方がいい。失敗するからこそ、深みがでるとも思いますけれど、しかし。

 

ああ、蛇足だと思うし、こういうの嫌いな人もいると思いますが、瞑想は本当に助けになると思っています。座禅、マハーシ式、ゴエンカ式、手動瞑想、呼吸瞑想、歩行瞑想などが日本だと学びやすいかも。ぶっ壊れる前に。