ひきこもり生存戦略

ひきこもりなど、生きづらさを抱える人であっても、生き残れる方法を模索するブログ

連帯、人との会話――それと、芸術の役割

人と話さなくてもいい、とぼくは考えているけれど、それは残酷な考えかもしれない。

気の合わない人とは無理につきあう必要はない、とぼくは思っている。

でも、ぼくを気にかけてくれる人でも、ぼくと気の合わない人はいる。

その人に対して、別にぼくはあなたと話さなくても全然平気だ、というのは、残酷なことを言っているような気がする。

でも、どう考えても、それが正直な気持ちなときもある。

でも、そんなこと言われたら、すごくつらいんじゃないかな、と心配だ。

ぼくは、人と話すのが嫌いじゃない。むしろ好きだ。

だけど、おしゃべりな方ではない。好きじゃない会話もある。つまり、気に入った会話なら、好き、というやつだ。

社交的になってみようか、と思ったこともあったけれど、つらいだけだった。きっと無理をしていた。なんというか、ふつうに人と話せていた時期もあったのだが、そのときは無理していなかった。そして、すごく楽しかった。人と話すのが楽しかった。無理せず話せるときが一番よいときで、無理せず話せないなら、話さないのが一番いい。やっぱり、無理はよくない。本当によくない。

話し好きか、どうか、なんて、一般的には決められない。相手によるとしか、言えない。

でも、ぼくは一人で何かするのがけっこう好きだ。

すると、連帯ってどうすればいいんだろうって思う。連帯。だれかとつながること。手を取り合うこと。協力すること。ぼくは共同作業ってあまり得意じゃない。でも、残業代ゼロ法案とか見ていると、一致団結して廃案にしなくちゃ、みたいなことを思う。一人だけだとどうやればいいかわからないから。でも、一致団結なんて、すごくうさんくさいんだ。どうやって他人とつながればいいんだろう。

この問題を解決することができれば、案外簡単に社会って変わっちゃうんじゃないか、ってぼくは、わりとマジに考えている。

芸術――物語とか絵とか音楽とか、そういうやつは、人と人とをつなぐことができるし、あまりおしゃべりが得意じゃない人、一人でも平気なぼくみたいな人にとっては、本当に力になってくれるんじゃないか、って感じている。具体的なあれこれは、まだ闇の中なのだけども。