ひきこもり生存戦略

ひきこもりなど、生きづらさを抱える人であっても、生き残れる方法を模索するブログ

甘い社会が欲しいんだ

まーた、働け、とか、甘えるな、とか、そういう声が聞こえてくるかなー、と思ったら、そういう声もちらほらと聞く。テレビとかでは、そっちの方が優勢なのだろうか、あまり見ないけど。

しかし、そうじゃない声もネットでちらほらと見かけて、これは、十年前のネットとは違うな、と感じた。十年前のネットは、バッシング一色だった気がするから。あくまで印象論だけど。

親は子供を放り出すべきだ、とか、甘やかしすぎだ、という声も聞かれるんだけど、うーん、ぼくはそういう「厳しい」社会は好きじゃない・・・。

もっと「甘い」社会がいい。甘い社会に住みたいし、甘い社会を作っていきたい。甘い社会って何かっていうと、困った時に他人に頼れる社会で、他人が助けてくれる社会で、ぼくも困った人を助けられる社会。みんながみんなを助けてくれる社会。それが理想なんだよなあ。

ぼくも、親と子は別の存在だと思うけど、それは思想的なことであって、経済的には、やっぱりお互いに面倒をみあうのがいいんじゃないかと思う・・・もちろん、関係性がこじれている仲の悪い家族は別だけど。そういう仲の悪い家族のために、もっと広い、拡大家族的な相互扶助組織が必要なんじゃなかろうか。

そもそも、今まで、ニートとかひきこもりとか、そういう人たちに対しては、甘えているといって、特に対策を取らなかったと思うんだけど(バッシング、すごかったよね? 覚えてる? 知らないか?)、そして若かった人たちが高齢化して今の現状があると思うんだけど、それは、この方向性が間違っているってことを示しているんじゃないだろうか。

どうしても、社会に一歩出ることができない、みたいな話は、聞いたことあるし、ぼくも経験あるし、本でいうなら、『ひきこもりの〈ゴール〉―「就労」でもなく「対人関係」でもなく』という本が、この「もやもや感」を「もやもや」のまま、うまく伝えていると思う。

もっとお互いが甘えあえる社会、を、ぼくは欲しい。

そういう甘い社会は、ぼくがぼくのままで生きられる社会だ。厳しい社会は、ぼくがぼくのままで生きることを許さない社会だ。厳しいルールに従えないなら、社会からはじきとばされてしまい、ぼくがぼくのままで生きることを許さない社会だ。そういう社会からは、本当に逃げ出したいし、大嫌いだ。だから、甘い社会がぼくは欲しいんだ。