ひきこもり生存戦略

ひきこもりなど、生きづらさを抱える人であっても、生き残れる方法を模索するブログ

生存戦略その2

日本で自給自足が生存戦略その1なら、海外で瞑想生活が生存戦略その2である。世界には、瞑想センターというものがあり、もし本気で瞑想したいなら、そこで無料で生活できるそうである。さらに、出家したいなら、そこでも無料で生活できるそうだ。ただ、これはこういう宗教的なもの、精神的なものに興味がなければ、そして現世的な快楽にあまり興味がない人間でなければ意味をもたない生存戦略であるとは思う。だが、ひきこもりの人の中には、そういう人も数多くいると思うので、ここに記す。

 

 自殺するくらいなら出家しよう。
 ひきこもりなら、一度くらいは、というか、もしかしたら何度も、将来の不安に押しつぶされそうになったことがあるんじゃないだろうか。
 世の中には、ひきこもりの人が、将来の不安なんて何にも感じていないからひきこもっていられるのだ、と思っている人がいるかもしれない。
 だが、それは違う。たぶん、世間の人が不安に思っている以上に不安に思っているので、そのあまりの恐怖のため、家からまったく出られないのである。
 能天気になんとかなると思っているやつの方が、案外世間に出て、実際なんとかしている一方で、きっと駄目に違いないという強い信念が、実際に足をすくませ、一歩も外に出られないようにしている、とぼくは思っている。

 それはともかく。
 本当に死ぬ前に、なんとか逃げ道のひとつやふたつ、できればみっつよっつと作っておきたいと思ったことは、ひきこもり経験者ならあるはずで、そのうちの一つとして、出家を考えたことがある人もいるかと思うので、出家というか、修行で悟りを開くということについて話してみたい。
 一般的に考えられている、日本で働いてご飯を食べて生きていくという道が、ひきこもりには、閉ざされがちである。
 面接も受かりづらいだろうし、そもそも自分の精神もなかなか働くということにたいして焦点が合わない、違和感を感じるんじゃないだろうか。
 少なくともぼくはそうだ。
 そこで、外国で、なんとかして、(日本の通常の意味で)働かなくても食べていける方策としての出家を調べてみた。
 出家というか、瞑想センターで過ごすというやり方かもしれないが、とりあえずまとめてみる。

 日本では、僧侶になるのは難しいらしい……というか、僧侶になれば食べていける、死ぬことはない、という文化ではないので、外国の例を。
 主に、出家するなら、僧侶がお布施で生きていける国で僧侶になるべきだと思うのだが、たぶんそれは、タイ、ミャンマースリランカチベットのいずれかになるだろうと思われる。
 ここで、「ニー仏さんの勧める瞑想センターの選び方・瞑想の仕方」(http://togetter.com/li/360858)を参照すると、まず、日本で体験できる瞑想を行い、自分に合ったものを見つけることが大切なのではないかということだ。そのうえで、三か月以上、現地で瞑想をしてみることをすすめている。
 ただし、自分に合っていない瞑想(そもそも瞑想そのものに合っていない人もいるらしい)をしても、意味がないし、瞑想の師の示す方向と自分の行きたい方向が違っていても意味がないので、自分の向かいたい方向性と、その学ぼうとする瞑想の方向性が合致するか、見てみることを強く勧めている。これは全くその通りであると思う。
 上のtogetterで、ニー仏さんは、「一口に「瞑想」といっても、例えばテーラワーダチベット仏教と禅とヨーガでは、やっていることが全然違います」と言っている。興味あるものを日本で実際にやってみる、体験するのにお金がかかり、ひきこもりではできない場合でも、図書館でハウツーの本が出たりしているので、調べることができる。
 座禅はちょっとだけ体験したことがあったが、他は本で読むことができた。
 個人的には、ヨーガの一部とテーラワーダの一部は興味ありそうな気がする。
 上のtoggetterにある、以下の言葉が、印象深く響いた。

【引用開始】よく言われるように、瞑想行において先生の役割はたいへん重要だし、生徒としては師匠の言うことにきっちり従うことがとても大切なんだけど、そもそも先生が教えてることと、自分の行きたい方向が乖離していたら、やればやるほど苦しくなってしまうだけだしさ。
その意味で、瞑想をやる場合にも「教養」はとても大切。「いま自分が何をやっているか」を、思想的・歴史的な面と人倫的・社会的な面の両側面から把握して、その上で、自分がいま必要としているものを選択すること。これができないと、どうしても自救不了(自分自身も救えない)になってしまう。【引用終了】


 さて。
 実際のところ、伝統的な仏教の修行が、どのような変遷をたどって、現代にいたっているのか、そのことについては、ぼくは調べてみたが、よくわからなかった。
 過去の教典をひもといたりしてみたが、はっきりとはわからない。
 ただ、現代、手軽に触れることができる瞑想としては、チベット仏教が日本で修行法を体験できるものをやっていたと思うし、座禅会であれば日本のどこでもやられている(日本では出家して食べていくことができないのでここでは考慮しないが)。
 テーラワーダ仏教(いわゆる上座部仏教)については、お寺でやっている修行法はよくわからないが、日本からでも比較的アクセスしやすい瞑想法としては、ヴィパッサナー瞑想というものがあり、主に三つの系統がある。これは、テーラワーダ仏教で行われている修行法を在家向けに簡略化したもののようだ。
 その三つの系統とは、ゴエンカ系、マハーシ系、パオ系である。
 また、タイにもこれらの系統の瞑想センターがあるが、それ以外にもタイではタンマガーイという新興宗教の瞑想法も存在する。
 これらの瞑想の方法については、ネットにもやり方がのっているので、参照されたい。
 また、pdfでこれらの瞑想についての歴史的、文化的背景を扱っていると思われるものを以下にあげておく。
(上三つが、実際にどんな瞑想が行われているのかについて書かれたもので、下の三つがその歴史的背景などについて書かれたもの)

 これらのpdfと、図書館で本などを読んで、みなさんも生存戦略のひとつとして考察してもらえればと思う。ひきこもりの中で、親が存命な人がいれば、お金を出してもらって、向こうに行くというのもひとつの手であると思う(もちろんその前に、どんな瞑想があるか調べて、自分である程度実践してからという前提で)。渡航費はある程度かかるが、これから死ぬまで暮らす費用を考えると安いものではないだろうか。

 

KirimetiyaneWimalawansa sa 上座仏教三国における瞑想の調査報告 タイ・ミャンマースリランカ
タイ上座仏教における瞑想法の現在 K.プラポンサック
アーナパーナ・サティ入門   ―呼吸への気付きの瞑想―

阿部貴子「現代の仏教瞑想-マインドフルネス(気づきの瞑想)について-」
蓑輪顕量 仏教瞑想論 ──アジア諸地域の特徴について──
タイ仏教社会の変動と宗教実践の再編 小野澤 正喜

 

 

【補足】

静と動の仏教 (新アジア仏教史04スリランカ東南アジア)や、リチャード ゴンブリッチの「インド・スリランカ上座仏教史―テーラワーダの社会」や「スリランカの仏教」などは、背景を探るのに役に立つかもしれない。