ひきこもり生存戦略

ひきこもりなど、生きづらさを抱える人であっても、生き残れる方法を模索するブログ

あのとき、言えなかった言葉に

ぼくには、今までの人生で、言えなかった言葉がある。

うまく言えなかった言葉もあるし、言いたいことがわからなくて、数年後に言葉にできたこともある。

そういう、言えなかった言葉を、数年後でもいいから、言葉にして、どこかで形にしたいと、そう思っている。

 

たとえば、小学生のときに、友だち二人と帰っていたときに、Aくんの話をぼくは聞いていたのだが、「今の話、楽しい?」ということを、Bくんから言われた。ぼくはうまく答えられなかった。無言だったか、まあ、と言ったか。面白くない、とは言わなかったけれど。そして、そのあと、Bくんと一緒に帰って、Aくんとは途中で別れた。

本当は、楽しいっていうわけじゃないかもしれないけど、聞いてて嫌な気持ちにならないし、聞きたいよ、と言いたかった。それはきつすぎるかな。でも、聞きたいよって言えばよかった。そして、Bくんではなく、Aくんと一緒に帰るべきだったと思う。本当は、そうしたかった。

他にも、いっぱいある。あのとき、言えなかった言葉。覚えていないことも、きっとある。

「Dくんが、うざかったら、言えばいいんだよ」と言ったCくん。Cくんに、「君のそういう言葉のほうがうざいと思う」とか、「全然そんなことは思ってない」とか言えばよかった。

どうやって、その言葉をとむらえばいいのか、考えている。

これからも、うまく言えないことは、出てくると思う。そんなに、すぐに自分の考えていることを言葉にできないし、すぐに言葉を紡げる頭の回転もない。それは嫌だなと思うけれど、これからもこういうことが起こるなら――ぼくは人と会話することを、やめてしまいたい。あるいは、もっと違う形の会話ができるような、環境に行きたい。もっとゆっくりしゃべるか、あまり言葉をしゃべらないようにするか。いや、無言は肯定と取られるときもあるから駄目かな。こういうことも、頭の片隅で、考えている。ちゃんとした、しゃべり方、自分の気持ちを、伝えられるしゃべり方を。