ひきこもり生存戦略

ひきこもりなど、生きづらさを抱える人であっても、生き残れる方法を模索するブログ

「社会はなぜ左と右にわかれるのか」の書評

ジョナサン・ハイト著。

左派は、自由や公正、思いやり(ケアとこの本では訳されている)に多くの価値を持つが、右派はそれらのみならず、忠誠や権威、神聖さなどの価値にも重きを置き、それによって、社会を統合する道徳や伝統の破壊に結び付きそうなものには反対する。

というような話。その結論を言うために、いろいろな証拠を出してくる。

この結論自体には、特に反対はない。また、違う価値観の相手と話して、相手を理解し、あるいは相手を説得する方法についても知りたかったのだけれど、要するに議論して頭や理性に訴えかけてもダメなのだという、ぼくもまたたどり着いた結論と同様なところに落ち着き、具体的なメソッドについては特に語られない。とはいえ、まずは仲良くなること、相手を否定しないこと、などの、ぼくでも思いつくレベルの抽象的メソッドは書いてあった。

まあ、ともかく、それは問題ではなくて、問題はデュルケームだ。

この本、思想的な源泉のひとつとして、エミール・デュルケームを持ち出しているのだが(知らない人のために解説すると、彼は社会学の三大始祖の一人であり【残りは、サン・シモンとマックス・ヴェーバー】、社会実在論【社会は個人の単なる集まりではなく、別の存在方式を持つ実在という考え方。ヴェーバーとは異なる】を唱えた人物。自殺論が有名)、どうもぼくの知っているデュルケームとは、印象が若干ことなる気がするのだ。

あえていえば、自分の論に都合のよいように、デュルケームを引用しているというか。ぼくも、デュルケームの原典は、そんなにしっかりと読んだことはなくって、自殺論をパラ見したかどうか、くらいなのだが、解説書や、デュルケームについて書かれた本はかなり読んで、むしろ過去に授業も受けたくらいなのだけれど、どうもイメージが重ならない。この本では、自由を人々に与えると社会が崩壊するみたいな考えの源泉として使われているような気がするのだが、デュルケームが言いたかったのは、そういうことではなかった気がするのだけど。彼は、社会には社会独自の価値基準みたいなものがあって、それが人を統制することで自殺を防ぐ、社会の統合を産む、みたいなことは確かに言っていたと思うけど、もっと射程の広い議論をしていたと記憶している。

あまり関心がなかったので覚えていないので、ちょっとネットで検索して、記憶を掘り起こしてみた。

まず、【http://www.hkg.ac.jp/~sawada/kougi/09/09.htm】というページを読む。うん、ぼくの記憶と齟齬がない、正統派な(つまりアカデミックな合意が得られている)解説だと思う。このページを読んで思い出したけど、そう、デュルケームカトリックプロテスタントの自殺率について調べたことがあったんだった。宗教は社会を統合する、みたいな話が上の本に出ていたけど、プロテスタントの国の方が自殺率が高いことを見るとそうは思えない、みたいなことを、ぼくの無意識は思ったのかも。また、【http://www.hkg.ac.jp/~sawada/kougi/10/10.htm】を読んでも、デュルケームの議論の射程は、この本で引用されているデュルケームの論よりも広いと思う。なんか、すごくデュルケームを単純化しているんじゃないかと思う。【http://ameblo.jp/chestnut034/entry-11584042022.html】ここのサイトも面白い。

ほかには、以下。

デュルケムと社会主義

 

まあ、他にも催眠の使用について、若干疑問があったりもするのだが、とにかく、デュルケームと催眠の二つの点で疑問点が出たので、他の点でも甘い点があるのでは、なんて思っちゃったりするわけで。あとがきでは、進化心理学批判(興味ある)と、本書の理性軽視へのゆるい批判もとりあげられている。なんかこういうアメリカの本の翻訳って多いけど、無駄に引用が多くて、しかも検証のしようがないというか、なんていうのか、妙な「浅さ」を感じるのはぼくだけだろうか。翻訳もなんか似たり寄ったりだし……これは原典の問題もある気がする。それなりの皮肉に満ちた文体、ちょっとしたスパイスとしてのユーモア、最新科学の(つまりまだ合意が得られていない議論の余地ある)知見、そして平凡な結論。なんか前にも読んだことある感じ。端的に言って、あまり面白くないというか、信用できない感じがする。作業機械がテンプレートに沿った論文を出したみたいな。昔はやった、「病原菌、鉄うんぬん」という本も、ぼくは信用できなかったんだよな。これ、ヨーロッパの大量殺戮を正当化する本じゃないの?と思ったし、そういう意味で不道徳だと思って読まなかったのもあるんだけど、案外批判もそれなりに出てきていたらしい。今、検索かけて見たら。

たとえば、

日本の地理学は『銃・病原菌・鉄』をいかに語るのか―英語圏と日本における受容過程の比較検討から―

知的な書評ブログ: ◆ 「銃・病原菌・鉄」への私見1

ダイアモンド『銃、病原菌、鉄』2005年版追加章について

 

ともかく、なんか欧米でベストセラーになった、妙に安っぽく感じられる本の翻訳があるわけなんだけど、ぼくはそういうの、読みたくないなあって思う。なんか信用できないんだよな、いいこと言ってる本もあると思うし、実際に読んで賛同できる本も多いんだけど、なんか信用できない。薄っぺらいというか。なにか、なにかが欠けているような気がする。