ひきこもり生存戦略

ひきこもりなど、生きづらさを抱える人であっても、生き残れる方法を模索するブログ

犯罪者の気持ちがわかる気がするとき


最初に、殺人者の気持ちがわかる、と思ったのは、中学生のころだったろうか。池田小学校の大量殺人者について、そう思った。
ぼくが記憶している、最初の「やばい」作人者は、「さかきばらせいと」という人間だった。
漢字は書かない。この人物は十四歳で、若かったことがテレビで取り上げられていた。
でも、ぼくはそのことについては、別に何とも思っていなかった。むしろ、子供が人を殺せないとでも思っているのか?
とびっくりした。子供にだって殺意はある。
ぼくがおぞけをふるったのは、殺害対象が子どもだったことだ。それはとても「悪」の匂いがした。なんといえばいいんだろう。生理的な嫌悪感を感じた、というのがたぶん一番近い。
池田小学校事件の犯人は、同様に「やばい」やつだとは思ったが、それでも、新聞に載った手記を読むと、理解できる部分があった。
これは、すごくびっくりした。殺人なんてやらかす人間は、まったく共感できない、自分とは完全に違う種類の生き物だと思っていたから。
あれ、こいつの言っていること、少しは理解できるぞ……、というのは、衝撃だった。人殺しと自分をふくめた「普通の人」が、地続きになった。
黒子のバスケ脅迫事件の犯人の手記が、潮(うしお)だったかの、サイトにのって、ニコニコかなにかに転載されたのを読んだのだけど、これはかなり共感できた。
そして、居村佳知(いむらよしとも)。3Dプリンターで銃を作った男なんだけど、この人の言い分には、共感できる部分があった。
共感というか、理解というか。
彼は、「体力の勝る者ではなく弱くても正しい人が生き残るために!」(https://twitter.com/Yoshitomo_Imura/status/463132221801369600)というようなことを言っている。
この人のツイートや、ウェブサイト(http://gensowmaid.ninja-web.net/)の主張を見ると、この人は、弱くても正しい人が生きるためには武装が必要なのではないかと言っているようだ。
そして、そのことについて、ぼくは完全に否定することができない。
こいつはひどいやつだと思うやつが、力が強いがために何ら罰せられず生きていき、正しいけれども弱い人間が納得のいかない目に会う、そういうことを、ぼくは目にして来たと思う。
世の中そういうことばかりじゃないけれど、悪を滅ぼせるだけの力を、弱者に与えるべきなのでは、という理屈、そんなに間違っているようには思えない。
思えないのだが、きっとそれは血を見る話になる。そのことを、この人はわかっているし、そしてそれでも正しいのだ、と言っている。
「今の日本国民は政府の暴走に対して抑止力があまりにも足りない。規制などしようものなら政府と内戦をするくらいでなければならない。これが民主主義だ。革命権を有する国民が政府を観察・監視状態に置く必要がある。日本の民主化には国民の武装権が何が何でも欠かせない。国民は政府の暴走を阻止せよ!」
上のような言葉、ぼくは間違っているとは思えないのです。
政府の暴走に対しては、武装蜂起も辞さない、これくらいの気持ちがないと、民主主義は守れない、これは理屈としては正しいと思う。
「私はテロリストと聞かれたらNOだが反政府の人間かと言われれば答えはYESだ。政府の権力は国民から授かったもので政府も統治に必要だから国民が仕方なく統治させている。政府に絶対はないのだから暴走しないように国民は政府を監督する義務がある。そのために機関銃くらいの武力は国民に必要だ。」
アメリカで、銃で武装する権利があるのは、革命権(政府が暴走したときに市民が武装によってその政府を転覆させる権利)に基づく、と聞いたことがある。
その意味で、この人の言っている民主主義の理論は、かなり「正統派」というか、少なくとも、一定の支持を集めたことのある考え方のはずだ。
「私は全国に対して声明する。最近の学生や20代は志がない。人間に生まれたなら信念を持て。社会から攻撃されても反撃しろ!!社会が自分を認めないなら社会と戦いながら社会を倒せなくても社会に負けないように生きろ!!そして自分を支持してくれる者達と共に生きよう。それが私の生き方だ。居村佳知」
正直、上のような言葉を、かっこいいと思ってしまう自分がいる。別に若い人たちが志がないとは全然思わないけど、「社会から攻撃されたら反撃しよう」とか「社会と戦いながら社会を倒せなくても社会に負けないように生きろ」とか、胸を打つものがある。
この人の意見は、極端すぎてついていけないと思う部分がある。
でも、それでも、どうしても「正しさ」や「かっこよさ」を感じてしまう自分もいる。

「私は思う。学生運動で命を懸けて政府と戦った人は英雄だと。今の日本人には抵抗をするだけの国に対する理想の姿と思いが無いのだろう。私は日本は本当の心の底では滅べばいいと思っている。しかしこんな馬鹿な国でも必死に今を生きている人はいるし日本から出れない人も居る。だから主張を私はやめない」
上のようなセリフは、「公共善」というか、「みんなが幸せな社会」みたいなことを考えたことがある人が発するセリフだと思う。
ぼくは、この人が、そんなに悪い人には、思えない。どうしても。
「日本政府に不満を持っている人は社会によって心をくじかれることなく強く生きるべきだと。「社会を変えられなくても社会に負けないように生きる」そして社会が自分に手をだしてきたら噛み付いてやればいい。大切なのは死ぬまで生き方を守り誇りを持ち続ける事だ。」
実際あったら、イメージ違うのかもしれないけど、上みたいなセリフに、一定の真理を見てしまう。
「3D拳銃事件について声明。技術が進化すると政府は法立で市民をコントロールする事は困難を極めるようになる。将来空間転移装置が開発されると銃が転送で手に入る。未来では規制をしても違法行為を防ぐ事は不可能になる。結局悪事を防ぐのは人間の道徳心。規制より人間の良心で真の平和を築くべきだ。」
良心が大切というのは、同意できる。
「危険ドラックには絶対に手を出すな!!ドラッグに手を出す人は好奇心が旺盛なんじゃない。無知なだけだ。人間に生まれて体の不自由もなく生きていられる価値がわかっていない。その上人間は新しい物事を考え生み出せる。無限の可能性をドラッグごときに潰される事はないぞ!!よく考えるんだ!!」
どうしても、正論や正義をつきつめた結果、社会から飛び出してしまっただけにしか見えない。
そして、それは悪じゃない。
「私は日本は合衆国になればいいと思うことがある。TPPにより外人だらけにならないとこの国の日本人と言うこりかたまった考えの人種は反省しないと思う。会社の協調性重視主義も完全に廃止しろ。社員は友達ではない。ビールも食事も友達や家族と行く事。仲良くより個性を尊敬する社会であるべきだ。」
「私は3Dプリンター銃の活動を始めたとき誰とも共同でプロジェクトを進めようとは思わなかった。なぜなら裏切る可能性があるからだ。私は私の為に忠誠を誓って自分の手首を切って血をみせてくれるくらいの事をしてくれる人でないと共に3D銃の開発はしようと思わなかった。だから全て一人で進めた。」
この他人不信は自分と似ているかも。
「日本なんか滅びればいいと思っている人は実はものすごく多い。ただ社会の目を気にして本当のことをいえないだけだ。日本のアニメやゲームは素晴らしいがそれは裏を返せばひどい現実からの逃避と社会への抵抗の意味がこめられている。最近のアニオタの学生などはそうした歴史もしっかりと学ぶべきだ。」
「警察と政府機関に告ぐ。あなたたちの権力は国民から「授かった」ものだ。その権力を不当に市民を迫害する事に使っている事に自覚を持て。検挙するのも逮捕するのも気持ちが公務員として「軽い」。相手の人の人生がかかっているのだから慎重になれ。国家権力を乱用すると今に国民に噛み付かれるぞ!!」
「私は事件でツイッターが公開され悔しがったのではないかと言う人がいるがそれは違う。むしろ自分の考えが全国に伝わりよかった事もある。人に見られたくない事をネットでコソコソやっている輩とは私は違う。ツイートが晒されて困る奴らは普段から見られてはまずいような事をしている証だ。」

でも、批判点もある。
「本当に今の日本は残酷な事件が増えた。昔の日本では誘拐だけでも大変なニュースになった。私が思うに今の人は自分ことばかり優先しようとしている。他人をいたわる思いやりが無い。強さとは何も体力だけではない。人を認めいたわる思いやりもまた強さだ。仕事ができる人より誠実な人になるべきだ。」
これは違うと思う。
http://kogoroy.tripod.com/hanzai.html
http://kangaeru.s59.xrea.com/33.htm
本では、「実証的刑事政策論――真に有効な犯罪対策へ」
http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%9F%E8%A8%BC%E7%9A%84%E5%88%91%E4%BA%8B%E6%94%BF%E7%AD%96%E8%AB%96%E2%80%95%E2%80%95%E7%9C%9F%E3%81%AB%E6%9C%89%E5%8A%B9%E3%81%AA%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E5%AF%BE%E7%AD%96%E3%81%B8-%E6%B5%9C%E4%BA%95-%E6%B5%A9%E4%B8%80/dp/4000234870/ref=sr_1_6?s=books&ie=UTF8&qid=1431417631&sr=1-6

「私は弱者に銃が必要と主張した事が反響を呼んだ。では弱者とは何か?一概に言えないが自衛能力に関しては私としては常に自分が弱者だと考える。「自分以外の人は全て自分より強い」そうした基準で考えないと身を守れない。銃を手にして強くなったと思ってもいけない。大切なのは自分の力を過信しない事」
これはすごい他者不信だと思うが、自分もそういうところがあるので、なんともいえない共感を呼ぶ。

「現代日本で子供の頃からいじめをうけたり社会に出ても上司から怒鳴られたり。心は正しくても低賃金で年だけとってきた中年。この今の日本でそんな人を癒せるのは対等な恋人ではなく主従関係のメイドだけです。他に誰が優しくできますか?メイド喫茶は立派なノブレスオブリージュだと私は思う!」
上のツイートは、心は正しくても年だけとってきた中年女性についてはだれがなぐさめてくれるのか?という問題を無視しているのでは、と危惧する。

「クラシカルメイド喫茶に居ると言葉の汚い人、粗暴な振る舞いをする者を少しの間忘れられる。最低のゲスが社会には多すぎます。日本は教育の質を上げろとか世界に学力で追いつけとかする前に品格・道徳、しいては紳士淑女教育を義務教育で行いなさい。だからDQNやガラの悪い社会人が増えるんですよ。」
自分も汚い言葉を使っているのでは?

 

ともかく。いわゆる犯罪者という人たちと、自分たちとの間には、そんなに大きな断絶は存在しないのではないか?ということを、あの中学生のころから、ずっと、考えている気がする。

余談だけど、「実証的刑事政策論――真に有効な犯罪対策へ」は、本当にいい本なので、犯罪やその厳罰化について知りたい人は読んだほうがいいと思う。